「トラベラーズノート」

最近のマイブーム「トラベラーズノート」の考察など書いてみようと思う。
今はスマホの時代。このブログもそうだが、日々の記録や想いなどはほぼ全てパソコン記録している。
パソコンデータのそうだが、このブログのようにクラウドでの保存もある。
子供のころ、小さいころではなく働き始めたころもそうだが、手帳を持ち歩いていた記憶がある。
今ならその場で気になったことがあれば調べられるが、私が働きだしたことのスマホはおろか、パソコンもない時代。コンピュータがビジコンという名前で仕事に活用しだしたころ。
何を隠そうオフコンの黎明期にその関連(ソフト開発)の仕事をしていた。
そのころパソコン(PC8801)が登場した。でも個人が使うにはまだまだゲームを作って遊ぶのが関の山。
インターネットが発達したのは最近のことだ。
そんな時代に何か気になることがあれば手帳にメモを取った。
旅行中の看板や標識など気になる単語や知らない言葉があればメモを取って、帰ってから調べたものだ。
そういえば写真撮影の旅に出た時は(撮影だけの旅ではなく旅の途中の写真撮影だが)、手帳に撮影メモを取ったものだ。シャッタースピードや露出(F値)等々をメモっていた。懐かしい。感慨深いものがある。
今ではデジタルで記録されている。EXIFデータと言って画像データと一緒に保存されている。
スマホや最近のデジカメならGPSで位置情報も保存される。
便利な時代だ。
逆にスマホがなくなった場合の恐怖はある。
手書きすることはほぼ皆無になった最近の生活。
相当前だが知人の結婚式で手書きのメッセージを書こうという、イベント?!があって苦労した覚えがある。
先日も手書きのメモを書こうとして漢字が書けない思いもした(これは相当前からだが)。
今からデジタルからアナログに逆行してスマホが無くなった(使えなくなった)時に備えよう。(笑)。

トラベラーズノートとブラス ペンシル

田舎の人の温かさを感じた旅

道の駅のスタンプラリーに目覚めて、車中泊での道の駅巡りが最近のマイブーム。
先日(11/08)も仕事終わりに出かけて遠方の道の駅「くんま水車の里」へ。
その日は到着後すぐに就眠。翌朝にスタンプだけ押して次の道の駅へと目論んでいた。
以前ネットで見た情報では9時には店が開くとあった(これが後から私のチェックミスだと気づくのだが)。
実際にお店などを見ても開く気配はない。
この時にネット情報当てにしていた自分を戒めた。
結局10時らしい。時期によって開店時間は変わるようだ。お店とは別の施設の準備している人に聞いた。
まだ30分以上あるし、未明から降り出した雨で近くに観光地(遺跡など)もありそうだが、行く気にもなれず車で待つことにした。
でもすぐに先ほどの方が雨の中、私が待機している車に来た。
「今から店の裏手に来ていただければスタンプを用意します」とのお言葉。
開店時間を尋ねた際にスタンプを押しに来たと言う図々しいお願いも説明した。
丁寧にお礼を言ってお言葉に甘えさせて頂いたが、久しぶりに人の温かさを感じたのでメモを残そうと思う。
お詫びにお土産でも買い物をしようと財布も持って訪れたが店の裏手だったのでそれも出来ず仕舞い。
改めてここでお礼を申し上げたいと思う。

上の画像の看板「ム月、、ヒヒ、、」。何かと思ったら熊の漢字を分解したものだ。

「ム月、、ヒヒ、、」

「日出ヶ岳(大台ヶ原)」山行と温泉

東京オリンピックの関係で昨日今日と連休。昨日の夜出発して大台ヶ原駐車場で車中泊。早朝から山行を敢行。早朝から登ったので午前10時には下山(駐車場へ戻った)。次に事前にネット調べた「名古屋岳」に行こうと歩き始めた。どちらも駐車場からそれほど遠くないし、標高を同じくらい(100mも上がらない)。でも「名古屋岳」ルートは「立ち入り禁止」の看板があり、断念。あとで「ビジターセンター」で聞いたが、樹木保護のために「立ち入り禁止」になっているようだ。
以前から行ってみたかった温泉「小処温泉」でひと風呂浴びて帰宅。

もののけの森へ

昼過ぎの「麦草峠」へ。まだ駐車場はほぼ満車だったが運良く一台だけ空きを発見。一安心して辺りを散策しようかなと思っていたらにわか雨。なので車内で早速ビール(今日はここで車中泊)を飲み始めて休憩。雨の所為もあるだろうが、外気温は18℃。さすが2,100mの高地だ。涼しい。少しだけ窓を開けて快適にすごせた。

雨降り

ほどなくして雨も上がったので辺りを散策。実はこの駐車場はケータイの電波が届かない。天気予報を見ることもできないし、LINEもできない(-_-;)。もちろんゲームも・・・。麦草ヒュッテがすぐの場所にあるので、そこならと思って行ってみたがそこもダメ。

麦草ヒュッテ

食事を済ませてからはまどろみの時間。それほど眠くもなかったが、ビールもなくなったので、のんびり横になっていた。朝4:15にアラームをセット。いつの間にか寝ていたがアラームが鳴る前に目覚めた。で星空の様子をみようと外にでたが、もう少し明るくなりかけていて少しの星だけしか見られなかった。出発前の車外気温は13℃。少し明るくなってきた5時すぎにスタート。目指すは「もののけの森」。

もののけの森

今回の山行(山歩き)の感想だが、神秘的で非常に癒される空間ではある。でも休日はちょっと人出が気になる。もっと人の居ない地がいい。あとまったりできる場所がない。人出が多い所為もあるが、自然(苔)を保護するため、木道しか歩けない。ちょっと山の中に入ってみようってことができないわけだ。なので一服する場所がない、ベンチもなかったし、ましてやお湯を沸かして食事するってスペースがない。山小屋で食事するスタイルの山びとならいいかも知れないが・・・。私にはあまり良い場所ではない。
標高が高いので夏に来るには良いところではあるが・・・。

久しぶりの「野辺山」

以前は夏になると「野辺山高原」へ良く行った。コロナ禍でナカナカ行けななくなったが、久しぶりに訪れてみた。早朝4時前に出発。早朝なので最初は下道。途中中央道は「瑞浪」から。今回は中央道「諏訪」まで高速。そこからは国道299号線。メルヘン街道を目指した。
明日「もののけの森」に行く予定をしているので、その下見に「麦草峠」に立ち寄った。はやり駐車場は満車。そのまま野辺山方面へ。
「八ヶ岳ふれあい公園」。駐車場には数台の車があったが運よく木陰に車と止められたのでリアのドアを開けて食事。あまり風はないが、何とかすごせる。もちろんエンジンを止めて。やはり高原。この辺りの標高は1,300mほど。虫もそれほど気にならない。虫もそれほど気にならない。食後、ちょっと昼寝。その後、池の周りをウォーキング。前後して「開拓記念碑」も訪れた。ここでのんびりして再度「麦草峠」を目指す。

旧伊勢別街道「椋本宿」を訪れて

この日、実は山行の予定だった。
でも強風のため断念。
その帰りに立ち寄った「椋本」。
昔私の勤めていた会社が近くにあり、この地区の人達とは結構親しくなった。
でもそれは40年も前のこと、ここを訪れた理由は「伊勢別街道」であること。
その証拠の道標があった。
あと宿場の名残の「宿」も。
この宿、平成20年末まで営業していたらしい。
他にも旧家が・・・。

佐屋街道の旅

佐屋街道は東海道の「七里の渡し」のう回路。熱田宿から桑名宿を結ぶ陸路。
途中、岩塚宿、万場宿、神守宿。佐屋宿と4つの宿があったようだ。
何回か(全6回)に分けて「佐屋街道」制覇の記録。

「yamapでの軌跡マップ」無関係な部分は「photoshop」加工。

0.大治町周辺をウォーキング(2019年5月19日)

愛知県大治町のウォーキングコースを歩いた。折角なので、神社仏閣巡り。佐屋街道も少し歩きました。

1.岩塚宿から烏森(2020年1月3日)

昨年少し歩いた「佐屋街道」が気になり「佐屋街道」完全制覇を目指して歩いてみることにした。まずは岩塚宿から烏森まで。

2.烏森から熱田宿(2020年1月5日)

方向は逆になるが、会社の初詣(初恵比寿)を兼ねて岩塚宿(烏森)から熱田宿まで歩きました。

3.大治から津島(神守宿)(2020年1月13日)

佐屋街道を西に、名古屋(大治)から津島(神守)まで、歩きました。
急に思い立って、何の下調べもせず、佐屋街道の以前の続き歩いてみました。佐屋街道は今の県道68号線。最初は「佐屋街道」の道標もあったが、それもなくなり、ただ肌寒い県道68号線歩き続けました。とりあえず今回は「神守」(津島)まで。

4.万場宿周辺(2020年1月17日)

佐屋街道、名古屋市内でまだ歩けていない部分があったので、会社帰りに歩いて来ました。万場の渡しから1kmほどです。

5.神守(津島)から佐屋(弥富まで)(2020年2月4日)

神守(津島)~佐屋~弥富と歩いて来ました。
名鉄電車で弥富駅から津島、津島から神守口まで名鉄バスを乗り継ぎ、前々回の神守の一里塚跡からスタート。
神守の宿場跡~佐屋宿場跡~ついでに弥富まで歩いて来ました。
神守や佐屋辺りは旧家がありました。埋田の追分跡は道を間違えて発見できなかった(-_-;)。
でもこれで「佐屋街道」を制覇しました。

坐骨神経痛

6月位から腰痛が悪化し、7月に整形外科を受診。脊柱管狭窄症(坐骨神経痛)という診断。長年のデスクワークが祟ったか。一時は車の運転も大変だった。それは右足の痺れ、アクセルを踏み込もうを右足を前方に延ばすと痛みが走る感覚。病院で処方される薬は痛み止めとビタミン剤(B12に神経修復機能があるらしい)。痛み止めの副作用で手や瞼が腫れている感じ。夜痛みで眠れない時もあって、先生に相談。腰に注射と睡眠時の痛みどめの薬を処方してもらった。夜は眠れるようになったが、右足の痛み(しびれ?)がまだ残っている。腰に注射のとき、もっと効く注射もあるが少し痛い、と聞いていた。最初なので優しい?!ほうを頼んだが、今回思い切って「よく効く注射」を打ってもらった。昨日は腰だったが、今回はお尻の少し上、家に帰ってお風呂の鏡で位置を確認すると本当に尾てい骨の辺り。尾てい骨の少し上辺りか。そこに注射を打った。『ブロック注射』

坐骨神経痛(腰痛)の改善として「インナーマッスル」を鍛えるのが良いらしい。腹式呼吸でも効果があるとのこと、朝からネットをみてしてみた。果たして結果良さそう。もちろん徐々にではあるが、足のしびれは段々感じなくなった気がする(多少は残っているが)。ちょっとした腰痛の痛みがある位で大分楽になった感じ。同時に温泉で電気風呂治療も。

腰痛は結局3ヶ月位で徐々にではあるが多少収まった感じ。痛み止めの服用と、電気風呂治療。あと腰痛ストレッチを毎日続けた。丁度還暦の誕生日のころには多少足の痺れはあるが、痛みはなくなった。車の運転もシートを出来るだけ前にして姿勢を正すといい感じ。今に始まったことではないが、年齢を重ねると病気からの完治という満足感は得られない。どこかしら悪いところを引きずったまま、多少は良くなったか、って程度の感覚だ。

錫杖ヶ岳初山行

スタートは7時15分ぐらい。駐車場は私の他1台だけ。200m毎に標識がある。(あとで知った)。何合目より私向き。親切な標識で迷うこともない。
ラス前の難所と思われる急登、休み休み登った。ここで結構年配の方に先を譲った。登りきったところにもベンチがあり、先ほどの方が休憩中。ベンチを詰めてくれたのでそのに座り世間話。何でも関の方で雪のない時期は月に一度のペースで登っているらしい。この先の岩場(鎖場)も説明して頂いた。二つ目の岩場はう回路があるらしい。
山頂は岩場であまり休憩スペースはない。先客もあったので少しで下山。下のベンチで休憩することに。12時前に下山。帰路途中にある「パンダ食堂」に向かった。トンテキ味の豚炒め定食を頂いた。

熊野古道を歩いて来ました

熊野古道は熊野三山に向かう参道。今回は伊勢神宮から熊野三山へ延びる「伊勢路」を選択。その中で最も石畳が綺麗に残っているとさせる「馬越峠(まごせとうげ)」を歩いて来ました。
馬越峠は300mほど標高があり、老体の私には結構キツイ上り坂、それに石畳の道は、登山道より足に負担が掛かる。念のため登山靴を履いてきたので足の裏が痛くなることはなかったですが、ソールの柔らかいスニーカーが避けた方がいいかも。
峠から「天狗倉山(てんぐらさん)」にも足を延ばし、岩塊の上まで鉄梯子を使って登ってみました。山頂からは尾鷲の街や海が一望でき爽快感を満喫。
帰りは尾鷲側に下り「尾鷲神社」も参拝。
熊野古道は随所に地蔵尊などがあり厳かな雰囲気を味わえました。
約10kmほどの道程なので熊野古道、伊勢路(170km)の十分の一も歩いていませんが、この道をワラジで歩いたと思えば、如何に昔の人々が信心深かったが分かります。
(熊野古道はいくつもの道があり全長は1,000km以上あるそうです)
山岳信仰の意味や山歩きの楽しさも再確認できました。